わたしだけが死ねますように

 

 

否定されることが多くなってきた。

私は否定が嫌でそれを素直に受け入れられないけど、何も話すことがなくてベラベラ喋ってしまうし、些細なことで否定されて傷つけられ続けるのは限界かもしれない

けど、行き着く先が否定だとしてもベラベラ喋れるような気の置けない相手が欲しいと思っちゃうんだよ、その気の置けない相手が君なら尚いいよ。一番いいよ。一番いい形でありたいよ。君ならとかじゃなくて、君がいいとかそういう。そして、それができないなら叶わないなら私はもう生きていても仕方がないしとっとと自殺したいけど、これも理想が高すぎて叶うことがなさそうなんだよな、地獄

破滅手前ということ!

 

人に話しかけられるのが怖くて何も聞いてないのにイヤホンをさしてる。でも自分の世界にいたって死にたくなるだけなんだよね。わかってはいるけど元気じゃない時ってどんどん落ち込む行動しちゃう。そして別に私に話しかけるような物好きはいない。これは被害妄想、わかってるだけ偉いのかもしれない。ささやかな自己肯定(いらん)。

 

ここ最近常々思うけど、たぶん理想の人とか、私のこと愛してくれる人とか、生涯あらわれないとおもう。そういう自信がある。

だって私には愛されるに値する人間ではないという自意識がある。自分ですら自分のこと愛してあげられない人間なのに、誰かに愛されるようなことなんてあるわけないからな!今の今まで1度も現れてないんじゃないかとすら思える、彼氏とか旦那とかいる人はすげーや。だってみんなすごいもんなそら当たり前よ。今いない人も今いないだけでいい人ばっかりだし、愛されて当たり前だから、いつかその時が来るんだと思う

そして私だけにはそんな日、一生来ないんじゃないかって崇高な被害妄想、これもいらん。愛されたいに決まってんだろ当たり前に。無理なこととして諦めたいのにいつまでも諦められないのが苦しい。

 

ありがたいことに家族はわたしのことを案じてくれるし、そこには家族愛が存在してくれているんだと思う。

それと友情、これは確かめようがない、確かめて決裂するのが怖いから。嫌われないようにすることで必死だけど、「この中から私が居なくなったりしんだりしても誰も悲しまないかも」ってふと考えることがある。多々ある。ありがたいことに私なんぞに良くしてくれる友達というのはみんな慈悲深いいい人なのでそんな情のない人たちではないんだけど、私がその場にいるだけで何か役割を果たしているのかと言われたらそうではない気がするから、そう思う。(これも確認してないから被害妄想なんだけど)

友達に役割とか私は考えてないし、あなたはあなたで居るだけでいい私と仲良くしてくれているその事実が幸せって思うけど、自分に対してはどうしてもこうなる。カウンセラーの先生にはこの部分に対して認知行動療法をしてもらった、のだけどこれは被害妄想という確信が持てない。事実なんじゃないかという不安が抜けないこれはもうずっとずっとずっと前からだ

 

てか被害妄想する奴ってうぜーだろ、だから誰も私を愛さない 私含め

 

愛されてないから死にたいなんて被害妄想甚だしいし自意識が異常すぎる。直したい。直ったと思ってもこの最悪な自意識はいつでも私に付きまとってきて最悪な気分の時に私を乗っ取ってくる

こんな自意識から逃れたいから死にたい

 

死にたい理由なんていくらでもあるけど結局行動に起こせないんなら考えても無駄という結論にここに来てようやく至れる。

そして少しして、死にたいって考えることが一番楽な方法に逃げてるってことに気付く

だから私はもう何もかもを諦めて生きていく覚悟を、早く決めたい